種市孝

最初の出会いは2023年夏。下北沢の劇場だった。元々は、ツイッター(当時)で沖縄の自然を背景にした政治風刺ネタで人気の「せやろがいおじさん」が目的で行ったのだが、同じ舞台でスタンダップコメディを披露した別の芸人のその芸風になぜかとても惹かれた。

それがぜんじろう。この名前を聞いて、安倍元首相襲撃事件の時の炎上を思い出す人は多いだろう。「いろんな意見を言い合う社会が良い。笑いはその潤滑油」が持論のぜんじろう。炎上も彼にとっては、さしずめ変化を起動させる点火プラグに過ぎないのかも知れない。

公演直後のぜんじろうを、楽屋に訪ねてみた。

種市:

公演、お疲れ様でした。

ぜんじろう:

お疲れ様でした。

種市:

アジア、特にタイ、ベトナム、インド、マレーシア、シンガポールと周られて今日公演と言うことで。

周っていく中で、例えばインドではインドファースト。

世界各地で経済うまく行かなくてどこでも時刻ファーストがある、という話でした。

世界に広がる自国中心主義

ぜんじろう:

そうです。そうです。

どこの国も今、自分のとこファーストはこれ世界の流れですね。

種市:

日本だけじゃない?

ぜんじろう:

だけじゃないですね。インターネットの影響もあるんでしょうけど。SNSとかね。

そういうのでプロパガンダが動かしやすくなっているのがあって。

そういうなんか人気取りと言うかね、そういうのが自分の国中心に行くと「よその国の人たちがいるから‥」と。

そういうことになってますね。

種市:

少数派、マイノリティが叩きやすい。「分かりやすい敵」にしやすい、というのはあるかも知れませんね。

ぜんじろう:

そういうことですね、はい。

種市:

日本でも今日おっしゃっていたように、ま、今ちょうど選挙やってますけど、参政党だけじゃなくて、自民党、公明党も。

ぜんじろう:

言ってますよね、はい。差別を助長しかねんような発言もしてますよね。

人気をとるためにね。

種市:

そういう状況に対し、率直にどう思われますか?

ぜんじろう:

いや、悲しいですね。悲しいですし、そこんとこをなんとかユーモアとかでヌルッとさせていきたいなっていうのが。

風通しよくね、しかもこう、ギスギスするところの潤滑油にならないかなっていうことを常に考えつつ。

なので諸外国行ってもやっぱりマイノリティのかたが、マイクもってその辺りをしゃべったりするんですよ。

僕なんかも外国人として、その国でその立場として向こうのマジョリティにしゃべったりとか。

なかなか日本は、それこそ日本語しゃべれるクルドのかたがいて、そこで巻き起こる事だったりとか(が起きない)。

今関西では在日韓国のかたとかが、在日というポジションでどういう差別があったかを、笑いを通しながら考え方を言っていったりする。

あの、風通しがいいことしたいなと思うんだけどなかなかそこまで行ってないですね。

種市:

マイノリティという点では、吃音があるお笑い芸人がいらっしゃいますね。

ぜんじろう:

はいはい、います。それから盲目のかたとかね。

そうですね。彼らがもうちょっとその立場から、どういう差別があったりとか、あとこういう間違ったことがあるとかっていうのを自由に発言していくと面白いなと思うんですけど。

種市:

笑いを通して‥

ぜんじろう:

そうです、そうです。はい、はい。

なんか、そうじゃないじゃないですか、政治家のかたが結構本音言って。

特にN国党の立花孝志とか。

よくね、悲劇プラス時間イコール笑いとかって僕、テーマとして言うんですよ。

あの人喜劇みたいなことやって、時間たったら悲劇ですよね。

なんかほんっとに、何と言うんでしょ。本当に悲しいですよね。

種市:

命落としてますからね。

ぜんじろう:

はい。

種市:

演説中も一般人を指さして「やったるぞ」みたいなこと。

ぜんじろう:

ああ、平気で言いますね。あの格好(帽子かぶる動作)して、「ぶっこわーす」とかちょっとふざけるじゃないですか。

で、あれオモロイと思ってるじゃないですか、本人。あれがもう、確実に悲劇ですよね。

コメディアンとしては許しがたいですね、ああいうの。何がオモロイねん、て。

種市:

そうですね。

ぜんじろう:

はい。で、いろいろ周って、やっぱその、自分の国ファーストなんですけど。

それがどのくらいに動いているかなんですけど、日本の場合ちょっと幼稚やないう感じはしますね。

種市:

どういうところに?

日本のお笑いはムラ社会

ぜんじろう:

いや、ああいう立花孝志とか。でまたそれをカウンターの方も妨害したりとか。

すごいなんか、中学校の不良みたいのがいますよね。校内暴力世代の、甘えた感じの。

幼稚やな思って。自己責任のないままようやってるなと思って。てのがちょと悲しいっちゃ悲しいですね。

もっとスマートにやればいいのに、と。

種市:

今幼稚だということをおっしゃって、ま、ああいう立花とか政治家たちは、お笑いの専門家では勿論ないんですけど、ワンイシュー、ウケを狙うみたいなところあると思うんですけど。

ぜんじろうさんが普段、先日立川でうかがった時もおっしゃっていたんですけど。

スタンダップコメディがどういうものかっていう定義の部分と、あと吉本の笑いとちょっと違うみたいなことをおっしゃっていたんですけど‥。

ぜんじろう:

ああ、はいはいはい。あのね。スタンダップコメディはお笑いの中の一個のジャンルなんですけどね。

「社会」の笑いも入れてる笑いなんですよ。社会。でこの社会の概念というのが日本は、これは別にお笑いに限ることではなくて、社会がない気がするんですよ。

そこが幼稚かなって言う。要は社会性ですね。Sociality。

日本の場合は、悪く言うわけじゃないですけどどちらかと言うと「世間」とか「ムラ」みたいな形。

この違いは何かと言うと、社会ってSocial Distance、コロナ禍でよく言う、ちょっと距離感もって。

と言うことは、相手の人権をちゃんと認めた上で、距離感もって何か言いましょっていうことなんですけど。

「蜜」っていう言い方しましたよね?

それがムラで、そんなん別に人の人権も関係ないし、ぐしゃぐしゃってなってる中で「仲ええもんどうし絆あるやん」言いながらやっていくので。

それはそれで無邪気でいいんですけど、こぼれる人もいますよね。

その、ムラのボスみたいな人がいて、暗黙の了解も生まれるし。

社会はそういうの、暗黙の了解なくしていきましょ、距離感もっていきましょ、人それぞれです、多様性とかっていう話なんですけど。

そういうところが非常に強いのがスタンダップ、ま、一人でなんかしゃべっていくんでね。

まずその人の人権を認めて行かなきゃいけないじゃないですか。

一方で吉本のかたは、それよりも事務所であったりとか「誰と仲ええの?」とか「NSC何期?」とか。

中学生みたいですよね。無邪気で笑いも、ま、僕もあるよ。

僕もやって来たし、今もエージェント契約は吉本やから、彼らと会った時は楽しいは楽しいんですけど。

それが社会にどういう影響を及ぼすかっていうとこまでは行かないんですよ。

なんかそれが、日本全体がムラみたいな笑いになってるから。

最近はジャニーズさんだとかムラ芸能界でしょ。やっぱ社会からするとおかしいじゃないですか。

今までそういうのがまかり通っていたのはムラだからですよ。

種市:

閉じてる世界だったのが、明るみに出たらなんだそれはっていう。

ぜんじろう:

閉じてる世界!この国に社会っていう概念が根付いてないのに僕は社会の笑いやってるんですけど。

だから「難しいこと言うな」「固いこと言うな」ってよく思われるんです。

そりゃそうですよね、中学生が「わー」言うてる中で大学生が「いやちょっと待ってよ。今の発言差別やけど。」

「別にええやん。わー言うていじり合ってええやん。」

「いや、それいじめやで。」

「うっとうしいなあ。」っちゅう話じゃないですか。

僕、その辺りを分かったうえで、あそこをそんなに嫌ってるわけではないんですよ、ムラの感じを。

ただ、そこからこぼれてきたり村八分になったりする奴がいるわけじゃないですか。

村八分食らうとか、距離感置きたいとか。

どっちかと言うと全体主義な感じですよね。閉ざされた中で。

嫌やな、閉ざされたとこと思って出てきた人たちが浮かばれない。

社会がないですからね。

僕は社会を作りたいなというの込みで、スタンダップコメディをやってるんです。

種市:

この間お話されたのは、ひな壇って言うんですか、分かんないけど。

ぜんじろう:

アメトーーク!

種市:

ここで盛り上がっているのを見せるっていう笑いのスタイル。

笑いのスタイルを四つくらいに分類されていたと思うんですけど。

ぜんじろう:

はいはい。雑談を見ているスタイル、一人が何かを観客に見せる、二人が会話を見せるっていう笑いの方法論。

種市:

あれがすごい面白いなと思って。言われてみればそうなってるな、と。

ぜんじろう:

アメトーーク!はよくできてるな、と。

その場のボスもいないまま。

でもいわゆる「空気」ですよね、ムラの中にはびこる。

それをちゃんと分かった人らが出ている。

圧巻と言えば圧巻ですよ。

ああいう人たちが一旦ぶれたらいいんですけど、なかなか社会に及ぼす影響と言うかね。

あの、あんなことできる人たちはいないから。

種市:

日替わりのボスみたいのが、テーマごとに。

ぜんじろう:

そうです、そうです。

本当にあれぐらいのことを一般の人たちがやったらいいと思うんですけど、なかなか行かないんで。

種市:

なかなかね。

ぜんじろう:

で、僕はやっぱりああいうところからはこぼれていくタイプです。

主張があるんでね。もう、あそこはぐれますよね。

じゃ、はぐれた人たちが生きていけるみたいなことをもうちょっとテーマで。

そこがやっぱり社会だろう、と。

で諸外国行くとやっぱり社会があるんですね。世間もあるんですけど、世界にも。

そういう、身内でわっと盛り上がるような無邪気なのもあるんですけど。

社会の輪があって、そういうのがいいですね。

政治家を目指す芸人への想い

種市:

今日もちょっと触れたラサール石井さんのことで何か。もし何もなかったらいいんですけど。

ぜんじろう:

いやいや、石井さん、今日もネタにさせてもらったんですけど。

ま、一応石井さんと言うことでね。

社民党はま、その、弱いったら弱いんでね、あまり言いたくは。

ま、いいと思うんですけど。

一個言いたいのは、僕はあの、芸人が政治家になるってことに疑問はちょっとあったりするんですよ。

種市:

あ、そうなんですか。

ぜんじろう:

はい。

あの、上岡も言ってたんですけど「芸人が転んだら政治家なるなあ。政治家転んでも芸人ならへんけど」みたいな。

やっぱあくまで芸人は、ていうか僕らやっぱり社会から、ていうかそこからこぼれてきたんで。

どちらかと言うと本音で勝負したい。

本音を言っていって笑いをとっていくみたいなね。

悪人も演じて、スカッとさす部分もあるんですよ。

悪の部分ってやつですよね。

モノをとったらダメじゃないすか、差別しちゃダメじゃないすか。

でも、時にとるよな、とか。

差別したらダメやけど、あ、俺やってもうてるわ、とか。

これ政治家絶対言えないですよね。

でも、無意識にやってしまってる部分は、やってるよなあって言って、不完全な部分は笑えますよね。

これが芸人のすごいとこなんですけど、石井さんはそこじゃもう届かん。

だから政治でって思いはったんでしょうね。

種市:

「諦めるのはやめた」と言ってますよね。

ぜんじろう:

言ってましたね。芸人じゃ社会変えれないと思いはったのか。

偉いなとは思うんですけど、やっぱ、うーん。

で社民党から出る。

ほかのでっかいとこからだっていいんですけどね。

基本的には、僕はやっぱ今日言った「生活に笑いを」。

芸人でやりはっても(いいのでは)とは(思う)。

だから半々ですよね。

石井さんのこと好きですし。

だけど芸人でできることってなかったんだろうか。

それじゃあかんやろうか。

あかんと思ったんでしょうね。

社会変えたいって。

種市:

芸人としても、多分さっきおっしゃった「こぼれた方」だと思うんですよ。石井さんって。

ぜんじろう:

どうなんでしょう?

種市:

違います?(笑い)

で、もう一回こぼれた。

ぜんじろう:

こぼれたんでしょうかね。

もしくは本当に社会のことを考えて、ちょっと芸人とかそういうこと置いておいて。

ヤバいと思いはったかですよね。

これはもうヤバい。もうヤバなってる。もう行かなあかんと思ってって。

種市:

僕一個思ったのはよくある、維新がダメだから参政党とか、その前は民主党がダメだから維新とか、そういう沈みかけた泥船から助かろうとするのはあるんだけど、どっちかっていうと逆ですよね。

「え、社民党?」っていうのがあったと思うんですけど。

敢えて社民党からっていうのは僕はちょっと、偉そうないい方ですけど買ってるって言うか。

ぜんじろう:

あ、まあそうですね。はい。

種市:

本気だなって思いますよ。

ぜんじろう:

政治のこと考えてはるんやなってことですね。

これコメディアンの立場から言うと、ってなってくるとまた。

全然個人的には頑張ってほしいんですけど、コメディアンの立場からすると、それコメディでやって欲しいなっていうのはありますけどね。

政治家なっちゃうとね。

やっぱり自己矛盾言いたくなりますよ。

「生活に笑顔」、いや別に笑顔は芸人でいいんちゃう?とか。

だからこれできっちり機能するくらい、もうちょい強くなってほしいですけどね。

あんまし言うとね。

社民党さん弱いんで、かわいそうかな、と。

種市:

ま、これでちょっとフェーズが変わってまたグッて(上向きに)なればいいなって思いますけど。

ぜんじろう:

ね?はい。

種市:

なんかあの、飛行機に乗って墜落の話ありましたよね?

ぜんじろう:

はいはい。れいわのとこ出た時に、あの、独裁者ジョークですね。

森喜朗と麻生大臣と安倍元首相が飛行機に乗ったら墜落しました。

助かったのは誰か?日本国民。

種市:

ははは。

師匠・上岡龍太郎

種市:

最後に上岡龍太郎師匠について。

ぜんじろう:

ようできた人で、いい師匠に僕は付きましたね。

あの人に付いてたんで、社会性も学べましたし。

すごい「社会」を持っている人でしたね。

ほんと個人主義のかたで、多様性のかたで、反面、芸人としての情も厚いって感じで。

この年になってようやく師匠のすごさがわかる、みたいな。

ラッキーはラッキーですもんね。

いい人と巡り会えたなって言うのは。

でももう上岡引退した年になったんで、僕。

これから目指すところが分からなくなるんで、今から自分の立てた目標、今までやってきたことを丁寧にやっていきたいと思いますね。

種市:

政治家になることはない?

ぜんじろう:

まったくないですね(笑い)。

政治家なってしまうと‥、うん。

ないですね。

シャレでは「なる」言うんですけど。

いや政治家なったらあかんでしょう。

うーん。いや、石井さん好きですよ。

個人的に頑張ってほしいですよ。

社民党も上がって欲しいですよ。

一応ぜんじろうとして言えることとしたら、上岡と一緒ですね、やっぱり。

芸人が転んだら政治家なる、政治家が転んでも芸人なれない、というね。

やっぱり芸人っていうのは本当に人間から崩れてきた不完全な人の集まりで、ホントはある種社会的弱者ですよね。

だからどうやって強く生きるんだってなった時、笑いの武器をもって生きていくんで、その笑いという武器を持っててほしいんですけど。

石井さんに言いたいのは、社民党でもぼけて欲しいですけどね。

笑いで楽しませて欲しいです。

今んとこ、オチは言うてないですね、ははは。

種市:

まだちょっとその余裕ないんじゃないですか(笑い)。

ぜんじろう:

余裕ないんですよね。

だから余裕持ってもらえるくらい、社民党強くしていただだきたいですね。

そうなんです。余裕なんですよ、笑いって。

そうなんです。

どっかで余裕がないことには。

余裕がなくなると、ねえ?

これを底上げしようとしてるのがリベラルのかたで。

れいわのかたもね、とりあえず分配して底上げしましょう、と。

僕ら、ムリにでも余裕をもって生きるっていうのは、ムリにでもやっていきたいですけどね。

お金なくても。

病気したりしても、精神的に余裕というのは。

そこまでなくなると本当に生きている価値がなくなる。

種市:

みんなそう言います。

周りも本当に余裕がなくなって来てる、と。

ぜんじろう:

余裕が、ですか?

種市:

うち京王線ですけど、毎日のように止まっています。

多分‥。

ぜんじろう:

あ、分かります。

全国的にそうですよ。

関西でもよく止まりますしね。

それはね、まずお金の問題は大きいですよね。

お金はね、物理的に。

なんでそこでもやっぱり、もっと悲惨な国もあったりするんで。

そこと比べちゃうのもはなはだちゃうんですけど。

それでも余裕持って行こうぜっていうところに芸人のとこが出てくると思うんで。

いやまあ、政治で救えたら救っていただいて。

僕は政治家には絶対ならないんで(笑い)。

ならないっていうかなれないです。

政治家のかたに失礼なんで、こんなこと言うとね。

僕なんかならしてもらえないですけど。

僕はできるだけ芸人でがんばって。

僕も余裕のない人間なんで余裕を持とうとしてるんで、余裕のない人間のかたに捧げたいと思いますね。

笑って欲しいですね。

種市:

僕もその部類に入ると思うんで、笑わしていただきたいと思います。

ぜんじろう:

あ、是非ともお願いします(笑い)。

是非皆さん、僕のライブに来てください。

種市:

今日はどうもありがとうございました。

ぜんじろう:

ありがとうございました。

インタビューを終えて

社会が制度と多様性の共存空間であるとすれば、世間は同質性と同調圧力の共同体だ。ぜんじろうのスタンダップコメディは、この世間の論理に楔を打ち込み、笑いを通じて公共性を開く営みとも言える。ユーモアは単なる娯楽ではなく、規範の相対化と想像力の拡張をもたらす装置となり得る。

直接的に解消せずとも、緊張や対立に対する視点の転換を促す力、それがぜんじろう流の「笑い」。科学における反証可能性や論点の明示同様、笑いもまた議論を活性化させる。笑いと論争の両立、これが成熟した社会の指標と言えるのかもしれない。

※インタビュアー:種市孝(超心理物理学者)