「座頭市」は、昔流行った映画でありテレビドラマです。

勝新太郎演じる按摩の旅人、盲目だが剣術がことのほか強い。

目が見えないハンディを感じさせない刀さばきで、大勢のやくざどもをなで斬りに。

どちらかと言うと社会的弱者の立場でありながら、同じ弱い立場の人たちには優しく、これを守りつつ卑怯な暴漢どもをどんどんやっつけていく。

分かりやすい勧善懲悪のストーリーと人情味のバランスが、高度経済成長期の日本人の心情にマッチしたのかも知れません。

 

この座頭市、ある賭場で振り子の役を買って出ます。

振り子とは、サイコロを2つ入れたツボを振り、それをひっくり返す役。

サイコロの出目の合計が丁か半か、つまり偶数か奇数かに皆お金を賭けます。

1回目は見事に失敗、サイコロが2つともツボの外に出てしまう。

もちろん出目は丸見え。

しかし盲目の座頭市にはそれが見えません。

お金を賭けている寄せ手衆、しめたとばかりに札を張ります。

見えているんだから絶対当たる。

そりゃニヤニヤもするでしょう。

 

しかして座頭市さん次も失敗。

またしてもサイコロは2つともツボの外に。

これまたチャンスと、皆さっきよりも大きな額を張る。

「落ちはありませんね」と座頭市。

「ねえよ」と寄せ手衆。

しかしてツボを空けると、中にはしっかり別のサイコロが2つ。

外に出ていたのが1と6で半なのに、ツボの中からは1と5の丁、で全員負け。

2回目でツボの外に転がったのは、座頭市の袖の中からこぼれ落ちた座頭市の私物のサイコロ、というオチなのでした。

 

「落ちはないか(ツボから漏れ出たサイコロはないか)」と確認した座頭市に、皆は「ない」と答えたのだから文句は言えない。

問い詰めても「ツボの中のサイコロに賭けるのが博打。それともあなたは外にこぼれたサイコロに賭けたのですか?」と逆にインチキをとがめられる始末。

 

それにしても、なぜ皆負けたのでしょう。

出目が丸見えの状態でサイコロがそこに転がっているわけですから、当然それに対して賭けるわけです。

1回目の失敗は2回目も失敗だろうと思わせる意図的な罠だったのですね。

本来ツボの中身に対して賭けなくてはならないルールを忘れさせる、座頭市のうまいトリックなのでした。

 

このように誤った信念を持たせて裏切る技法、手品でもよくつかわれます。

分解すれば注意のミスディレクション、視覚的な錯覚、期待・先入観の利用、動きの速さによる論理思考の妨害といった様々な心理テクニックが使われています。

つまり人間の注意力には限界があり、同時に複数の動きを正確に追跡することが一般的に困難であることが利用されているのです。

座頭市は(手品師も)、相手の注意を意図的に誤った方向に向けることで、実際の仕掛けを隠しています。

私たちは認知活動のクセの結果、時として目の前の現象に対して最も合理的な説明を見落とし、突飛な結論に飛びついてしまうことがあります。

 

2025年3月26日のPenオンラインに、デイトナビーチの夜空に輝く発光体のニュースが載り、話題になりました。

目撃者により撮影された動画と共に、現場にいる人たちの「宇宙人だ」と言った驚きの声が収録されています。

この時観測された光点の物理的特徴としては、

  • 2つの光源が空中に存在
  • 1つは明るく、もう1つはそれよりは暗い
  • 水平線からかなりの高度がある(船の高さではなさそう)
  • 点滅していない定常光
  • オレンジがかった暖色系の光
  • 海面への反射が見られる

と言ったところ。

 

また、環境的文脈としては、

  • デイトナビーチ周辺の空港の存在
  • 軍事施設の存在(100マイル以内に複数)
  • 撮影は夜間
  • 海上での目撃

が挙げられるでしょう。

 

科学的アプローチの1つの在り方として、可能性を「より単純な説明」から「より複雑な説明」へと序列化して検討する、というのがあります。

まずは航空機説。

そのメリットは、既知の技術で説明可能であること、地域特性との整合性、そして高度や動きのパターンが適合する、などが挙げられます。

一方デメリットとしては、あるはずの衝突防止灯(1秒間に1回~数回点滅する)が見えないことが挙げられます。

ただし軍用機が特殊な任務で消灯していた可能性はあり得ます。

 

次にドローン説。

メリットは、航空機同様既知の技術の範囲内であること、操作可能な高度と一致する、特殊な光源搭載の可能性が十分ある点、などです。

デメリットとしては、光源の強さが一般的なドローンとして過大なこと、そして夜間飛行の制限と矛盾する点。

ドローンの夜間飛行は、アメリカでも日本でも原則禁止されています。

ただし軍用/研究用の特殊なドローンの可能性はあります。

禁止は「原則」であって、正当な事情があり許可される場合もあります。

Penの記事でもドローンの可能性が指摘されています。

 

さて、それではこういう時決まって喧しい宇宙人説、これについてはどうでしょうか?

こちらは複雑な説明を要し検証不可能な仮定が多い点、既知の物理法則との整合性が弱いもしくは不明といった問題点が挙げられます。

当該映像の撮影者も飛びついていた宇宙人説、その問題点を具体的に見てみましょう。

 

  1. 複雑な説明を要する問題

必要となる仮定の連鎖:

– 地球外知的生命の存在

– その文明の高度な技術発展

– 星間航行技術の実現

– 地球への到達手段

– 大気圏突入技術

– 地球の重力場での安定飛行

– 検知回避能力

– 光を発する目的

 

簡単に言えば複数の仮定が全て成り立つ確率は、それぞれの仮定が成り立つ確率の積で表されます。

それぞれの仮定が成立する確率は1未満であり、当然ながら仮定が増えるほど全体の成り立つ確率は急激に低下します。

用いられる仮定は少ないほど良いと言われる所以がこれ。

宇宙人説は、信じたい人には残念ながら、上述のように用いられる仮定が非常に多いのです。

 

  1. 検証不可能な仮定が多い

主な検証不可能な要素:

– 地球外文明の存在自体

– その文明の技術レベル

– 星間航行の実現方法

– 推進システムの原理

– エネルギー源の性質

– 航行制御システム

– 地球訪問の目的

– 発光の意図

 

これらは:

– 実験による検証が不可能

– 観察による確認が困難

– 反証可能性が欠如

– 科学的方法論の適用が困難

といった問題が挙げられます。

また、既知の物理法則との整合性の点でも、光速の制限の問題は?

光速を超えつつ因果律を破らないのか、破るのであればいかにして既存の物理法則と整合する形で破るのかといった問題。

飛行形態については他にも慣性の問題など、問題点山積みです。

 

つまり宇宙人説を採用するには、多くの未検証の仮定を受け入れ、既知の物理法則との潜在的な矛盾を説明し、検証不可能な要素を含む複雑な説明体系を構築する必要があるのです。

 

まず大前提として、この映像だけから決定的なことは言えません。

事実の更なる検証が必要でしょう。

現状で言えることは「航空機説、ドローン説共に問題は確かにある。しかし宇宙人の載った乗り物(いわゆるUFO)説よりは蓋然性はある」というところです。

手品の仕掛けが私たちの認知の特性を巧みに利用しているように、UFO目撃談も同様の心理的メカニズムに影響されている可能性が高いと言えます。

 

科学的な現象の解明には、客観的な観察とデータの収集、それを説明する複数の仮説の検討、そして 最も合理的な説明の一時的採用とその更なる検証、いう手順が不可欠です。

「海上の光るUFO」の報告に接する際も、手品の種明かしのように、まずは最も単純で合理的な説明を探ることから始めるべきでしょう。

それは必ずしも現象の神秘性や興味深さを損なうものではなく、むしろ私たちの自然界や技術に対する理解をより深め、この宇宙、この自然の想像を絶する奥深さという真のロマンに接する機会につながるはずです。