学校の運動会を思い出してください。
私たちは紅組・白組に分かれて色んな競技で競い合いました。
自分自身が競走で一着にでもなればそれは嬉しいもの。
これは当然です。
そしてまた当然ながら、自分のいる組の方を応援するし自分の組が勝てばこれも嬉しい。
しかし自分の組が相手の組に勝ったからと言って、別に物質的な報酬がある訳では勿論ありませんよね。
それなのになぜ自分の組の仲間を、普段全く付き合いがないのにも関わらずあんなに熱狂的に応援し、そして自分の組が勝ったらなぜあんなに喜ぶのでしょう?
集団を区別する進化的背景
人類の歴史を通じて、私たちは常に「自分たちの集団(内集団)」と「他の集団(外集団)」を明確に区別し、外集団に対して時には強い敵意や警戒心を抱いてきました。
こうした外集団に対する敵意や偏見は、残念ながら現代社会にも色濃く残っています。
「残念ながら」とは言いましたがこの心理的傾向は、進化心理学の視点から理解するとむしろ極めて自然な反応であり、人類が長い年月をかけて形成した適応戦略の1つであると言えます。
進化心理学は、人間の心の動きや行動パターンの多くが、祖先が生存と繁殖に必要だった環境に適応した結果として生じたものであると考えます。
現代人の心理が形成されたのは、数百万年にわたり狩猟採集生活を営んだ旧石器時代であり、この時代の環境に最適化された心理傾向が現在まで引き継がれています。
生活への適応と集団間競争
ホモサピエンスが分化するはるか以前の太古の昔、人類の祖先がまだ樹上生活をしていたころ、人類は自分ひとりで木の実を調達していました。
その生活様式は今日で言うとチンパンジーに近かったらしい。
その後気候変動などにより樹から降りざるを得なくなり、草原での狩猟採集の生活を送るようになると、集団での協力体制の中で生きる術を身につけたのでした。
鋭い牙も爪も持ち合わせておらず速力も筋力も劣る人類は、草原では脆弱そのもの。
手先の器用さと助け合いながらの集団行動で身を守るほかはなかったのです。
身を守るための集団生活でしたが資源は限られ、資源の取り合いや縄張り争いなど、他集団との競争や衝突が日常的に発生する環境でした。
このような環境下では、自分が属する「内集団」と外部の「外集団」を明確に区別し、内集団には協力的に、外集団には警戒的または敵対的に接する傾向を持つことが、生存と資源確保において非常に有利だったのです。
現代社会に引き継がれたバイアス
進化心理学の研究では、この「内集団バイアス」と呼ばれる心理傾向が現代に至るまで深く人間の認知に刻まれていることが示されています。
例えば、「最小条件集団パラダイム」という有名な実験では、全く無意味な基準で人を二つの集団に分けただけで、参加者が自動的に自分の集団のメンバーを好意的に扱い、他の集団のメンバーを差別的に扱うことが明らかになっています。
これはつまり、人間が外集団に敵意を向けやすいのは、脳に深く刻まれた進化的な心理メカニズムの影響を強く受けているためなのです。
こうした外集団への敵意は、資源競争に勝利し、生存確率を高めるために進化的に有利だったからこそ、強く定着してきました。
一方で、このメカニズムは現代社会では多くの問題を生んでいます。
現代では、狩猟採集時代の部族の区別とは比較にならないほど抽象的かつ広範な基準で区別される集団が形成されています。
実験では似たような2つのお菓子、例えば「きのこの○○」と「たけのこの○○」のどちらが好きかで分けた集団間でも集団内ひいきが確認されています。
しかしこれが国家、人種、宗教などで識別される集団となると、何が起こるでしょうか?
国際紛争、人種差別、民族間対立などはすべて、この進化的なバイアスが現代的な社会構造や文化的背景と絡み合い、悪化した結果ともいえます。
人は外集団に対するネガティブな特徴を過度に一般化して認識しがちであり(外国人は犯罪率が高い、など)、これが人種や民族に対する差別や偏見を生む原因ともなります。
一部には、人種差別や民族差別を進化論的に議論しこれを進化的に固定された本能とみなすことは、人間の変化や教育による改善の可能性を過小評価するとの見方もあります。
しかし私は必ずしもそうは思いません。
心理形成の正しい理解は、課題の正しい解決法を導き出してくれるはずです。
進化的起源を理解することは、上述のような問題を克服する手掛かりになります。
バイアスの克服に向けて
外集団への敵意が「自然」であるという理解は、決してその行動を肯定するものではありません。
むしろ、なぜ人間がそうした感情を抱きやすいのかを客観的に理解することで、教育や社会的仕組みを通じて意識的に偏見や敵意を軽減する道筋を作り出すことができるでしょう。
作家の東浩紀は政治学者・遠藤乾との対談の中で、国家=政治を上半身、市民社会=経済を下半身に例えます(※)。
「上半身は思考の場所なのに対し下半身は欲望の場所、ネーション(言語や生活様式を共有し同じ法によって支配された一定の地理的領域)の中では非合理な下半身を上半身がしっかり管理できた。
しかしネットを通じ誰でもSNSでつながることができる現代にあっては、そんな素朴なネーションはどこにも存在できなくなっている。
下半身が国境を越え、欲望の部分、経済だけでなく排外主義やヘイトスピーチといったものまでが国際的につながり可視化される「露出狂の世界」となった。」
欲望の露出は内面的な真実の吐露であり、それが政治家なら「あの政治家だけは分かってくれる」という妙な親近感と信頼感を生む。
「トランプはその典型」というわけです。
欲望のうちに排外主義があるというのは、進化心理学の成果から裏付けられます。
であるなら、私たちはこれを東の言う「上半身」でコントロールする、現代に見合った新たな手法を見出さなければなりません。
ある意味、人は先天的に「間違うように」できている。
社会の構成員として必要な論理思考を学習によって身につけ、いかにこの間違えるクセを克服するか、が現代人に問われているのです。
個人の努力に頼るだけでは足らず、社会的なサポート体制も必要でしょう。
私たちは進化的な心理を乗り越え、新たな共感や理解を形成する能力もまた持っています。
進化心理学を通じた理解は、外集団への敵意を減らし、より共感的で協調的な社会を築くための重要な第一歩なのです。
(※)フェイクニュースが世界を覆う(中央公論新社、2017年)