「『波動』が共鳴して引き寄せる」
「『波動』で身体の不調を治す」
「波動」のみならず、「エネルギー」、「次元」、「○○フィールド」‥
このブログ内でも指摘してきたように、
(例えば「『波動』ってなんですか?」)
科学用語を多用した曖昧な言い回しが闊歩しています、
さも「科学的」であるかのように。
ではそのように、
非科学的かつ曖昧な「波動」論議で
「説明」される当の諸現象、
例えば念力とか「引き寄せ」だとかの現象の存在自体も
否定されるべきでしょうか?
引き寄せの「量子力学的」説明‥の問題点
曰く
「ハッピーな人同士、そうでもない人同士が引き寄せあう。
それは『量子力学』で説明できる。
要するに人の意識は光子(光の粒々)でできており、
人はみな光子を放出している。
量子力学では粒子は波動でもあるので、
光の波が共鳴しあう者同士、波長の合う者同士が共鳴し
引き寄せあう」
巷で流行っている引き寄せの量子力学って大体こんな感じ。
なんかとっても理にかなっていて科学的!
と大流行り。
でも本当に中身OKなんすかね?
要素分解してみましょう
- 人の意識・感情が光子でできている
- 人から絶えず光子が放出されている
- 周囲の人物はこの光子を感知する
- 光子からの情報で行動が変化し、
波長の等しい者同士が共鳴し引き寄せあう
人の意識は光子でできている?
まず1と4は全く根拠なし。
これらに科学的裏付けはなく、
現状ではエセ科学に典型の
「言いっぱなし」状態。
- 人の意識がいかにして生ずるか
- その存在の必然性(必要性)は?
言うまでもなくこれらは多分に難しい問題で、
現在でも脳神経科学のみならず
情報科学や物理学、哲学を巻き込んで
喧々諤々の議論が続いています。
脳科学の大勢は脳によりどころを求め、
物質たる脳の機能の発現としての
意識・心・精神活動のあり様を探っています。
それに対し私は、
唯物論的立場を堅持しつつも、
脳とは独立に存在する意識の源を主張する、
「PF理論」を提示しています。
それは、
「生まれ変わり現象」が実在するとの仮定のもとで、
多次元性や場の理論を根拠に
「こう考えれば脳から独立な『意識』を
考えることができますよ」
との提案であり、
「生まれ変わり現象」に科学的根拠を与えようとする試み。
明確な仮定や条件を提示した検証可能な仮説であり、
「魂が存在すれば生まれ変わりはあり得る」
的な、無根拠・言いきり型の論法ではありません。
ところが先の1、「意識は光子でできている」論には
このような根拠、成立要件を提示した論法がありません。
どこの論文雑誌や学会で、
個人的見解ないし仮説として発表するにしても、
もしそれを科学的議題とするのであれば、
それが妥当と思える根拠や成立要件は是非とも必要です。
光子(の集まり)から意識活動が生まれるメカニズム、
その検証可能性についても言及がありません。
科学用語に惑わされてはならないのです。
たとえどのような「専門用語」が使われていようとも、
このような「ためにする」議論は
科学とは無縁のものです。
確かに人は光子を放出している、しかし‥
対して2と3は、文字通り捉えるなら正しい。
科学的根拠あり!
確かに人は光子を放出しており、他者はそれを感知しています。
でもそれって一体なんでしょう?
人が光を放っているって、
後光とかオーラとかの話でもしているのでしょうか?
もちろんそうではありません。
光子とは光の粒のことと言いましたが、
物理学的には一般に電磁波は光子の集まりと考えられ、
目に見える光(可視光)はその電磁波の極々一部。
電波から赤外線から、レントゲンで使うX線など、
多種多様な電磁波が世の中には存在します。
GPSも電子レンジも、BluetoothやWifiも‥
私たちの日常では多くの場面で
電磁波が利用されています。
これら多様な電磁波の種類を分けているのはその波長(※)。
狭い意味での光、可視光も、
ある一定の範囲の波長の電磁波、なんですね。
可視光以外の電磁波は、
その波長が可視光の範囲とは異なるため
人の目には見えない。
※波長:波のピークからピークまでの長さ
要するに言いたいことは、
「人は確かに光子を放出している。
でもそれは、可視光ではありませんよ」ということ。
ではその、人が放出している光子は
どのような種類の電磁波なのか。
それは「遠赤外線」。
聞いたことありますよね?
冬にストーブとかこたつであったかい感じのするアレですよ。
あの暖かみは、ストーブやこたつから放出されている
遠赤外線が皮膚に照射されて感じるもの。
波長的に言うと、可視光より長い。
当然目には見えません。
暖かみと言えば、
人の体だって本来の暖かさを持っているじゃないですか?
そう、「体温」。これも遠赤外。
体の表面から遠赤外線が放出されているのです。
遠赤外は赤外線の中でも波長が長い部類
一般に放射熱の温度が高いほど
その赤外線の波長は短くなり(可視光に近づく)、
温度が低いほど
波長は長く(電波に近づく)なります。
体温程度(37度くらい)だと、その波長は大体
9.4μm(マイクロメートル、1万分の1㎝)。
もちろん体温が高いほどこの波長は短く、
体温が低いほど長くなります。
ということは、どうでしょう?
もしAさんとBさんが発する光の波長が等しくて
「共鳴」するおかげでAさんとBさんが引き寄せあい
仲良くなるのだとしたら、
「人は体温が等しい者同士が引き合い仲良くなる」
と言うことになります。
そんなことってあるでしょうか?
体温は一般に、起床時が最も低く、
夕方にかけて高くなり、
その後夜にかけてまた下降します。
その変動幅は大体0.5度から0.8度で、
もちろん人によって変動の仕方は様々。
また体の部位により温度も異なります。
要するに体温に起因する遠赤外の光子のエネルギーは、
35度台から37度近辺の幅で
位置的・時間的に
ものすごく幅を持って推移している、
ということ。
そのアバウトな値どりをするものの
微細な変化を感じ取って、
人は好きあったり嫌いあったりするのでしょうか?
また、もし体温による遠赤外以外の光子放出があるというなら、
なぜそれは未だに観測されていないのでしょうか?
宇宙から来る電磁波は、
電波領域からガンマ線領域まで
電磁波の広範な領域で
微弱な信号が観測されています。
人体から放出される、
遠赤外以外の光子が存在するとして、
それが未だに観測されていない事実を
どうやったら理性的に説明できるのでしょう?
そんな無理やりの「量子力学的」言い回しよりも、
その人の言葉の端々、発し方、
表情・動作や身なりに現れる感情や人となりからくる
心理学的効果で
人々の「引き寄せ」を考える方が
よほど現実的だし、
科学的根拠もあるのではないでしょうか?
「引き寄せ」の心理学的解釈
というわけで、
巷で流行る「量子力学」のデタラメサさを見てきたわけですが、
デタラメな解釈がされているからと言って、
引き寄せの効果そのものが「全く存在しない」と
断言できるわけではありません。
むしろそれは、「立派に存在する」と考えられています。
例えば‥
ホテルの大部屋に大勢の人が集まって、
カクテルなど傾けながらガヤガヤと歓談している、
そんな風景を思い浮かべましょう。
政治家の資金集めパーティーではあまりにも無粋なので
ここは一つ、結婚式の二次会とか同窓会あたりを
想定しておきましょうか。
あなたは目の前の2,3人と
たわいもない会話に興じています。
重要なビジネスのミーティングではないので
(むしろそうでないからこそ?)
没頭し、楽しい会話に夢中です。
そういう時は得てして、
周りでの会話など耳に入りません、よね?
正確には「耳には入って」いますが、
気にならない。
隣近所がどんな会話をしているのか、
その内容は伝わってこない。
ところが‥
部屋の遠くの入り口で
誰かがあなたの名前を呼んだとします。
これにはパッと気づく。
自分の名前でなくとも、
肉親や好きな人、著名人の名前、
自分の出身地名、好きな楽曲のタイトル、
最近マスコミをにぎわしている事件や事故の話題等々‥
関連度の高い、あるいは気になっている事物の名前が
唐突に、遠くでかすかに聞こえてきても、
これには気づいてしまう。
これがいわゆる「カクテルパーティー効果」。
これはもちろん、
パーティーの場面に限定されることではありません。
パーティーはあくまで比喩。
情報化社会と言われて久しい現代。
TVや週刊誌、電車のつり広告、インターネット、街の看板‥
私たちの周囲は、至るところ情報だらけ。
そのような、あふれる情報の中で
気になること、好きなことに関することは
パッと気がつく。
スマフォの画面を指ですばやくフリック!
ネット上の画面がどんどん下から上へ流れる。
しかし関心のある用語にふと気づいて、指が止まる。
こうして自分の好きなこと、
関心事の情報だけが取り入れられ、
その後の行動がそれに沿って変容し、
その結果、自分の好きなこと、関心事に即した結果を
他人より多く招き入れてしまう。
これが心理学的引き寄せの説明です。
「引き寄せ」の物理学考
心理学も科学の一部ですから、
これで一応「引き寄せの法則の科学的説明」が
なされたことになります。
しかしこれだけではない可能性もあるのです。
とある念力(!)実験
アメリカの超心理学者ディーン・レイディン博士の有名な実験
(画像はNHK「サイエンスZERO」より)
一番手前にあるのは「光子銃」、
光子一つ一つを放出できる装置。
その向こうが「二重スリット」
細い筋状の穴(スリット)が二本開いている。
光子銃から出た光子は
左右どちらかのスリットを通り、
奧のスクリーンに到達するのは
二本のスリットの部分だけ‥
とも思えるが、そうではないのが量子の世界。
光の波動としての性質が現れ、
左右のスリットから出た光子は
波として干渉しあい、
その結果スクリーンには縞模様ができる。
‥とまあ、ここまでは一般的に知られた
量子力学の実験。
粒子と波動の二重性を端的に示す実験として
有名です。
レイディンさんはここに一味加えます。
被験者に、
「左右どちらかのスリットだけを光子が通る」
ように、心に念じてもらうのです。
光子が一方のスリットだけを通る場合、
当然ながら上述の「干渉」が起こりません。
(「回折」は起こり得るが)。
干渉が起こらないということは、
縞模様が生じない。
「心に念じる」だけで、果たして
物理現象に影響が及ぶなどということが起こり得るのか?
一見馬鹿げているようでもあるし、
実際現代科学では認められていない現象ではあります。
レイディン博士は250人の被験者に対し
実験を行い、統計を取りました。
その結果、人が念じた時だけ縞模様の位置が
有意に(統計学的に意味のある)変化をすることを
突き止めました。
本当に光子が一方のスリットだけを通るなら
縞模様は消滅しますが、
実際には恐らく不完全な形で
光子の経路が変化したのでしょう。
ともかく、もしこの実験が正しいとすると
人の思念が物理現象に作用を及ぼす
ことが確かめられたことになります。
これって「念力」そのもの、ですよね?
レイディン博士はこれ以外にも多種多様な念力実験を行い、
人の思念が持つ物理的パワーを実証した、
と報告しています。
もしこの結論が正しいとすると
人の思念の物理的パワーが人を引き寄せる、
という可能性だって考えられます!
解釈は人それぞれ
改めて言いますが、
人の思念が物理現象に影響するというのは
現代科学では認められていない現象であり、
もしそれが本当だとすると
物理学の現行標準模型を書き換える必要性すら生じる
超画期的な発見です。
一部の人は、この画期的実験結果を正しいと結論付けた上で
次のような主張を繰り広げます。
「今の脳科学は、
意識が物質たる脳から生まれているとする
『物質主義』である。
それは逆であり、意識から物質が生まれるのである」
と。
意識の作用が介在して
物質系の動作が変容する実験結果が確かにある、と。
それに対しこのような
「意識ファースト」の世界観を結論付けることは
果たして妥当と言えるでしょうか。
物質が先か意識が先か
性急な決めつけは危険
- 物質たる脳から主観の世界が生まれる
メカニズムが皆目わからない - 意識が物質世界に作用する実験結果がある
- 生まれ変わりや前世記憶、胎内記憶などのエビデンスがある
あらかじめ言っておくと、
私(種市)は2と3についてはまだエビデンスと断ずるに足らず、
と思っています。
その辺の事情については別稿で。
ま、しかし世の中には1~3全てを認めた上で上述の
「意識ファースト」なる考えに達している人は多い。
改めてここで確認したいのは、
仮に1~3全てが正しかったとしても、
物質から意識が生まれる現代脳科学の王道は
棄却されるべきではない
ということ。
そこをあきらめる必要は全くありません。
それはなぜか?
現代物理学における「物質」の描像
「物質から意識が生じる訳がない!」
と断言するのは、ある意味では簡単なこと。
しかしもし科学的議論をしようとするなら、
用語一つ一つの意味を
(面倒でも)明確にしなければなりません。
この短いセンテンスだけでも
「物質」、「意識」、「○○から○○が生じる」、
これらの意味するところを明確にする必要が‥
今はとりあえず「物質」、
これに着目しましょう。
結論から言うと、現段階で
物質、そして物質粒子間での相互作用を媒介する
物理学上実在と考えられているものは「場」です。
‥「結論から言う」と期待させておいて
「場です」などと訳わからん言葉で片づけるとは‥
とがっかりしたそこのあなた、
お気持ち痛いほどわかります。
まあしかし正確を期しつつ
日本語で表現しようとすると
どうもこう言わざるを得ない、という。
よく量子力学の説明で
「○○は粒子でもあり波でもある」
という言い回しがあります。
これ、ちょっと不正確。
「粒子の性質と波動の性質を併せ持つ『何か』である」
と言った方がより正確。
物事を説明するのに、「何かである」とは何ごとだ!
‥とまたまたお叱りを受けそうですが(笑)
ここが日常会話レベルの日本語の限界。
その「何か」が、専門的には「場」と呼ばれるものですよ、と。
「場」が時に応じて、粒子のようにふるまったり、
波動のようにふるまったりするのです。
その正確な記述は、「数式」と呼ばれる
物理学上の「言語」で行われるわけですが、
「日本語」(あるいは「英語」でも)という言語では
どうしても不正確さが付きまとう。
例えば「粒子」や「波動」という日本語の言葉で
どのようなものをイメージしますか?
「粒子」というと、
何かこう砂粒のような
カチッとしたつぶつぶをイメージするし、
「波動」とか「波」とかいうと
海の波のような、広がりがあって
もわもわっとただようようなものをイメージしやすい。
ともかく人というものは
言葉のイメージに引きずられやすい。
そのイメージは日常生活の中、見える世界の中で生まれます。
当然と言えば当然ですが。
あ、ところで
ニセモノ量子力学の中には
「粒子性」を「物質」
「波動性」を「エネルギー」
と巧妙に言い換え、
「人が見た瞬間にエネルギーが物質化する」
などとでたらめ理論を吹聴するのもあるのでご注意!
「物質」概念は時代と共に変遷する
現代物理学では上述のように素粒子は「場」として
統一的に理解されていますが、
人類が「場の理論」に到達したのは
人類史の中では極々つい最近のできごと。
それまでは例えば
「光は粒子か波動か」が大問題でした。
粒子派のニュートンと波動派のフックの大論争は有名。
アインシュタインは相対性理論で有名ですが、
彼のノーベル賞受賞理由は実は相対論ではなく、
「光量子(こうりょうし)仮説」と呼ばれるもの。
これは光の粒子としての性質を説明する理論です。
電子もそう。
これはどちらかと言うと元々は粒子と思われていたのが、
波動的に考えることで
原子の安定性を説明できることが分かったのでした。
この考えは「前期量子論」と呼ばれ、
その後の量子力学発展の引き金に。
ところがその後の物理学の発展で
光も電子も、そしてその他の素粒子も
カチッとした粒子でもなければ
モヤッとした波動でもない。
両者の性質を兼ね備えた「何か」(=「場」)だよ、
と言うことが分かったのです。
今後の物理学の発展のしようによっては
さらに進んで素粒子は「ひも」のようなものだと
分かる時が来るかもしれません。
素粒子がひもだなんて、ますます想像しづらいですが、
現段階では仮説の「超弦理論(ちょうげんりろん)」
(「弦」はギターの弦のように、要は「ひも」ですね)
が正しいと分かれば、やはり素粒子はひも状の物体だと確定します。
このように、簡単に「物質」といっても
その概念の中身は時代とともに変化します。
そこを固定的・感覚的に捉えて例えば
「物質から意識が生まれるなんてありえない」
などと突っ走るのは、科学的思考としては危険だ、
ということなんです。
事実私のPF理論は、
物質粒子の定義を拡張することで、
念力や生まれ変わり現象を物理学的に可能な現象と
説明することができることを示しています。
「意識から物質が‥」
などといきなりぶっ飛ばなくても、
「物質主義」(そう呼ぶならお好きにどうぞ)の範囲内で
これらの現象は説明できるのです。
科学の科学たるゆえん:エビデンスへの依拠
そう考えると、
「意識から物質が生まれる」と
「物質から意識が生まれる」
どちらの仮定をスタート地点として考察を始めるのも
(それ以外でも)
個人の勝手でしょう。
ただ、もし科学的手法に依拠し科学的思考を推し進めようとするのであれば、
どんな仮定をおいて考えを進めるのか以上に重要な問題があります。
それは、成否判定はエビデンスに依拠するということ。
そのエビデンスとはどのようなものか?
これを厳密に議論するとまた長くなるので
細かい議論は別稿に譲るとし、
ここではただ、
個人的体験や主張などではない、共有可能な客観的事実
と述べるにとどめます。
「例えば誰かがこういう実験をしてこういう結果を得た」
などという情報は、
手法や装置の品番に至るまで実験方法の細部が公開され、
誰でも再現実験が可能なように公表されます。
で、他の研究者が追試をし、
「誤差の範囲内で同様の結果が得られた」、とか
「いやそんな結果は得られない、間違いの可能性があるよ」
などと議論されていく。
そうやって、一定の条件範囲で正しいと思われる
実験結果・観測結果が積み上げられ
自然像が形成される。
(レイディン実験の結果を今のところ私が
エビデンスとして受け入れていないのは、
まさにこの点が足りてないと思うから)
そしてそれを基に、
その現象を適切に記述する理論が構築されて行くのです。
このように、
実験や観測行為を通じ、
「自然界にお伺いを立てて」
今手元にある理論が間違っているのか正しいのか、
実証的に判定していかなければなりません。
手間はかかるがこの過程に逸脱があってはならない。
このような手続きを踏んで科学は発展してきた。
その時に、
「物質から意識が生まれる」仮説は
実際問題実験がしやすい。
なにせ対象が物質ですから、
脳にしろコンピュータにしろ、
それらを対象に実証実験は可能です。
ところが「意識から物質が生まれる」仮説の場合、
この検証実験はどのようなものになるのでしょうか?
どんな実験結果を積み上げたらこの仮説の成否を判定できるのか、
よくわかりません。
誰もそこに言及せず、言い切って終わり。
この仮説を立てている人は
今後どのような実験でそれを証明していくのか
その辺の展望みたいなものについて、
もう少し考えていただけたら、と。
それでは私の理論(PF理論)の場合、
その検証実験はどのようなものになるでしょうか?
まずはPFOの入れ物となる「余剰次元空間」を見つけること
これは既に世界中で探索活動がなされています、
そしてPFOそのものを発見すること。
更に、やはりPFOも物質ですから
物質からいかに意識が生まれるのかという
いわゆるハードプロブレムは避けて通れません。
これについては今のところ、
「統合情報理論」と「受動意識仮説」の融合が
面白いと思って、いま鋭意考察を深めているところですが、
これについても別稿で。
余談ですが、PF理論の実験的検証の実地的な考察について、
実験物理学者の側からのアプローチ、欲しいなあ(笑)
この方面からの(理論も可)コラボパートナー募集中!(笑)
「急がば回れ」ということだろうね
最後に、
生まれ変わり現象の存在を示すとされる前世記憶の事例
(前世の人物が特定されたとかさ)、
上述のレイディン博士の念力実験などは、
今のところ批判も多いのですが、
仮に正しいと認定されたとしましょう。
でもそれだけでは「意識から物質が生まれる」
の「証拠」にはならないのは明らか。
それを検証する実験のノウハウも今のところ分からない。
しかしてこれらの現象を、私のPF理論では説明できる。
この理論の検証はというと、これも可能。
以上のように考えるとやはり、
「物質から意識が生まれる」、
この方向性での研究はやはり意義があるし、
今それを止める段階ではない、
ということだけは言えるでしょう。
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