空を見上げる自由をすべての人に

~天文学が照らす「差別の闇」~

種市孝

貧困や人種差別は、教育や文化へのアクセスの格差としても現れる。「星を見る」──それすら一部の人にしか許されない現実がある。ブラジルでは、黒人や先住民の子どもたちが夜空を見上げる機会を取り戻すために、天文学者たちが貧困地域や先住民集落と協働する新しい試みが始まっている。それは単なる科学教育ではなく、差別の構造に挑む科学者サイドからの「社会変革の運動」と言えるものだ。

近年わが国でも、時により人種差別や偏見の問題がクローズアップされる。天文学が「誰のものか」を問い直すこの動きが、現代日本社会に問いかけるものとは?科学を分断ではなく連帯の力に変える──その動きの最前線を紹介する。


目次

  1. 「空を見る自由」が奪われてきた人々
  2. ブラジル発──「共生のための天文学」
  3. 日本社会への示唆──「教育格差」の根底にあるもの
  4. 科学者は何ができるのか

  1. 「空を見る自由」が奪われてきた人々

貧困地域では、夜空が見えない。これは単に夜空を照らす街灯りのせいだけではない。街を覆うのは、差別と貧困という「社会の光害」だ。ブラジルのファヴェーラ(貧困地区)で暮らす子どもたちの多くは、本物の星空を見たことがないという。高層ビルやスモッグに遮られた空の下で、彼らの世界には実に「宇宙」が存在しない。それは、社会の格差が人々から奪うのがモノや機会だけでなく、想像する力、世界を広く見る視野そのものだからだ。

裕福な家庭の子どもたちは書籍や図鑑を読み、科学館に行き、望遠鏡を覗き、宇宙の話に触れる機会に恵まれる。一方、ファヴェーラや先住民集落の子どもたちは、星を見ることすら「自分には関係のないこと」と思わされて育つ。日本に生まれ育った私たちにも想像しづらいことだが、科学とは中産階級や白人男性のものだとする無意識の壁がそこにはあるのである。

ここで天文学の原点をたどってみよう。元々空を見上げることは、誰の特権でもなかったはずだ。遊牧民は季節と方角を知るために星を見た。星座の源流がメソポタミア遊牧民によって考案されたのは、偶然ではない。航海者も星の観測を通じて、海上で方角を知る。星空は、どんな民族や社会にも共通するもっとも古い「共有の知」と言えるのである。

人種差別は経済や政治の問題だけなのか。決してそうではない。今、文化や教育の場に埋め込まれた差別の構造、すなわち「知る権利」・「探究する権利」そのものが奪われてきた歴史の闇にも、光を当て始めている人たちがいる。彼らの目的は、空を見る自由を取り戻すこと。それは、「自分が世界とつながっている」という感覚を再び取り戻すことなのだ。

  1. ブラジル発──「共生のための天文学」

ブラジルでは、天文学が「社会を育てる学問」として新しい役割を果たしつつある。その中心にあるのが、国際天文学連合(IAU)のもとに設立された「共生のための天文学事務局(Office of Astronomy for Development, OAD)」。この取り組みは、単なる科学教育ではない。貧困や差別、文化的排除といった社会の不平等に向き合い、人々が自分の生きる世界を誇りをもって見つめ直すことをめざすものだ。

OADのもとで、いくつかの象徴的なプロジェクトが進められている。その一つが“OruMbya”。ヨルバ語で「空」を意味する”Orum”と民族名”Mbya”からの造語だ。アフリカに起源をもつブラジル人のコミュニティが、音楽や詩、神話を通して宇宙を語る活動を行っている。科学者がこのコミュニティの芸術家・教育者、そして若者などと協働し、宇宙を題材とした詩・音楽・映像・小説などの創作を行うのである。そこでは、専門家が一方的に「科学を教える」のではない。人々自身が自分の文化や記憶をもとに宇宙を語り直すのだ。

OruMbyaのウェビナー

OruMbyaのウェビナーのワンシーン

例えば奴隷制の歴史を背景に持つ地域では、夜空は自由への象徴として語り継がれてきた。彼らにとっては、夜空を見上げる行為そのものが、生き抜く力や希望の象徴なのだ。OruMbyaは、その文化的意味を尊重しつつ天文学的知識と統合することを目指す。写真や動画・語りを共有し、宇宙のイメージを再構築する中で、全員が単なる受け手ではなく、科学と文化を共に創る主体として関わっている。黒人女性や若者が自らの言葉で「星の物語」を語る姿は、改めて科学が誰のためのものかを我々に問いかけているようである。

また、“Under Other Skies“というプロジェクトは、ブラジル南東部ミナスジェライス州の先住民マクサカリ族の人々と、天文学者・教育者が協働して行った文化的アウトリーチプロジェクトだ。その目的は「異なる知の共存」。マクサカリ族には、星々や自然現象を神話として語り継ぐ独自の世界観がある。たとえば、ある星座は「祖先の魂が夜空を渡る道」として描かれる。そこには生と死、自然とのつながりが深く刻まれているのだ。プロジェクトでは、このような口承伝承が映像・イラスト・語りの形で記録され、そして学校教育の教材として再構成された。参加者は互いの言葉と文化を尊重しながら、星の見方、時間の感じ方、空の意味を共有する。この協働を通じてマクサカリ族の人々は、自分たちの知が科学と対等に扱われることを体験する。そしてやがてそれが、文化的誇りと教育的自立につながっていくのである。Under Other Skiesは、天文学を「理解の道具」から「文化の架け橋」へと変える試みであり、異なる文化が互いを照らし合う、新しい知のかたちを暗示する。

さらに、リオデジャネイロのファヴェーラ(貧困地区)で行われている“Closer to the Sky”は、天文学を通じて子どもたちの学びと仕事づくりを支える活動だ。これも日本では考えづらいことだが、銃声が日常に響く地域で、夜空を見上げるという行為そのものが「贅沢」になってしまった現実を変えるために、このプロジェクトは始まった。この活動では、参加者が自分たちの手で望遠鏡を組み立て、星を観察し、天体写真を撮影する。子どもたちは星空観察を通して科学に触れ、やがて地域の「星の案内人(アストロガイド)」として育っていく。つまりコミュニティの中で「学び」が循環する仕組みが作られたのだ。それは単なる教育支援ではなく、職業的自立と誇りの回復につながる実践である。空を見上げることが、まさに社会を変える第一歩となるのである。

これらの取り組みに共通しているのは、科学を一方的に与えられるものとしてではなく、それを共に創るものという視点で捉えていること。ここでは知識は上から与えられるものではない。人々の暮らしや文化の中で再発見され、そして再び共有されるものだという考えが貫かれている。こうした実践は、植民地時代以来続いてきた「白人中心の知の構造」への静かな挑戦でもある。天文学が、貧困や差別に苦しむ人々とともに語られ、学びや誇りを取り戻す力になる。それはとりもなおさず、遠い星を見つめる学問でありながらもっとも地上世界に寄り添う、人間のための科学なのである。

  1. 日本社会への示唆──「教育格差」の根底にあるもの

この「知の共有」は、社会のあり方を考える上でも大きな意味を持つ。学ぶことが、競争や序列の中で行われるのではなく、互いの経験や文化を持ち寄る「共創の場」として実現されるからだ。そうした学びの形は、貧困や差別に直面する子どもたちにとって、「自分の声が価値を持つ」という実感をもたらす。これは教育の本質とも言えるものであり、また社会の民主的発展を支える源泉でもある。

この考え方は、実にこの日本社会にも通じるのではないだろうか。科学や教育の分野では、依然として専門性や立場の違いによる壁がある。しかし知識は本来、誰かが独占するものではなく、共有し合うことでこそ豊かになるものだ。彼らの天文学が示しているのは、「知の民主化」こそが社会を育てる力になるということではないだろうか。空を見上げることが誰にでもできるように、学ぶことも、考えることも、誰にでも開かれていなければならないはずである。

進化の過程で人類は、「法則性の認識」能力を高めた。「ピンクのグラデーションのかかった、白い花びら五枚からなる、子供の手のひらくらいの花が咲き終わると、甘くておいしい赤い実がなる」といった具合に。この法則が分かったおかげで、人々はリンゴの果実にありつくことができ、飢え死にリスクを減らすことができた。このような法則の体系化が、科学を生んだのである。共有財としての科学を取り戻すことは、人と人が尊重し合う社会を築く第一歩なのだ。

日本では、多くの人が「教育の機会は平等だ」と考えがちだ。しかし、家庭の経済状況や地域の文化環境によって、子どもたちが触れられる知の世界には大きな差がある。科学館や文化施設に行けるかどうか、好奇心を伸ばしてくれる大人が身近にいるかどうか。大学の授業料は私立・国立を問わず年々うなぎ上り。親の収入が伸び悩むなかで進む物価高は、子供が高等教育を受ける機会を脅かしている。

4. 科学者は何ができるのか

科学という言葉が、どこか遠くの世界の専門家のものとして語られがちな現実はないだろうか。これには科学者側の社会への向き合い方が関わるかも知れない。「自分には関係ない」「難しい」「理解できない」と感じた瞬間、人は科学から、ひいては社会からも距離を置いてしまう。

人は「理解できる範囲」を自分のテリトリーと感じる。逆に分からないことが多い世界は「自分が属していない場所」と捉えがちだ。科学を「難しい」、「自分とは関係ない」と思うことは「どうせ分からない」、から「専門家に任せておけばよい」という受け身の態度に結びつく。

現代社会には、正解のない複雑な問題が渦巻いている。その時「何が正解か(よりマシか)」、「どんな政策が必要か」を議論するのに、科学的な説明力は欠かせない。しかしその言葉にアクセスできない人が議論の場にすら入ることが許されないのは、当然のことだろうか。科学を「外の世界の話」と捉え切り離すことは、その延長線上にある社会そのものも、自分とは関係のない外の世界になってしまうのだ。

ブラジルのプロジェクトが教えてくれるのは、科学をもっと身近な、生活に根ざしたものとして取り戻すことの大切さだ。星を観るというシンプルな行為の中に、「知ることは生きること」と気づく瞬間があるのであり、かつその気づきを共有できる場があることが、人が自信と尊厳を取り戻す出発点になるのだ。

もし天文学が、貧困地域や先住民集落で人々の自己肯定感を育てる力を持つのだとしたら、この日本でもきっと、科学教育や文化活動のあり方を見直すことで新しい社会的つながりを生み出すことができるのではないか。学びを「競争」ではなく「共創」として捉えること。それこそが、格差の根を断ち、誰もが自由に空を見上げられる社会への第一歩を踏み出すことになるのだ。

 

【参考文献】

Cortesi A, Mignone C, Alves-Brito A, et al. Astronomical outreach and education in marginalised and indigenous communities: astronomy as a tool for social development. Proceedings of the International Astronomical Union. 2023;19(S384):379-390. doi:10.1017/S1743921324000371


種市孝(たねいちたかし 東京都多摩市在住 神奈川県川崎市出身 58歳)

サイエンスライター・エセ科学バスター。東北大学理学部化学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程単位取得。最前線の研究を専門家の視点から分かりやすく読み解く。スピリチュアルやオカルト、都市伝説、疑似科学をめぐる論点を整理し、事実と解釈を切り分けながら、科学的に考える姿勢の大切さを発信。マイナビニュースでの連載記事執筆、国立研究開発法人産業技術総合研究所のオウンドメディア「産総研マガジン」での執筆などを行う。著書に『脳は心を創らない』(つむぎ書房、2023年)など。